高尾山麓の地理と歴史

高尾山麓周辺の地理と歴史を紹介するページです

両界橋は首根っこ
川原宿
小名路
落合

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両界橋は首根っこ



この地図はMapFanWeb( http://www.mapfan.com/ )より転載。

 八王子から国道20号を下り、高尾駅前へ経て南浅川を渡ると高尾山麓の盆地に入る。
 南浅川に架かる両界橋が、高尾山麓へ通じる唯一の道路で、他に車の走れる回り道は全くない。
 高尾山周辺の水もすべてこの両界橋の下を流れる。
 またこの両界橋の上を中央本線が通っている。
 仮に両界橋が爆破されると、高尾山麓はもとより相模湖方面への通行が道路も鉄道もまったく遮断され、孤立することとなる。
 また仮に両界橋のところで、南の山の尾根と北の尾根をむすぶ大きな堰を築けば、高尾山麓が水に沈み、かなり大きな人造湖ができる。
 両界橋は、けっこう重要な地理に位置している。まさに世が世なら、高尾山と山麓の人たちにとっては首根っこにあたる。
 両界橋の語源についてはまだ知らないが、こんな理由から付けられたのかな。あるいは昔は、高尾山薬王院の仏法の世界と現実の娑婆世界を分ける領地境界だったのかな。(2001/06/01)

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川原宿

 高尾駅北口から小仏行きバスに乗ると、1つめのバス停が「川原宿(かわらのしゅく)」で、2つめが「小名路(こなじ)」である。

「両界橋は首根っこ」で書いた両界橋は「高尾山誌(昭和2年)」に、
 浅川駅(高尾駅の旧名)から西に進むと、
「川原の宿、小名路の両宿を連絡する両堺橋に出る。橋上には中央線の鐵橋が虹の如に交叉し、橋の上流には巨岩怪石が蟠居して清流は之に激し、簾のやうな小瀑布をなしていて、『小名路の堰』と呼んでいる四邊の山色と相映じ、得も云はれない風致である。」
と書かれている。
 また橋の袖に、「三防樫(みつふせぎかし)」という一本の老樫があり、下流には「サイカチの木」が一本ある。三防樫の脇の休茶屋細田屋は「柳川鍋」が自慢だと書いている。
「三防樫」とは、文久二(1862)年四月に、風、水、火を防ぐため12本植えたうちの一本だという。

「高尾山誌」は川原宿について、
「道を挟んで両側には、清烈玉のやうな清水が流れ、家は大抵棟の高い茅屋で、軒は低く、長閑な山村の風趣掬すべきものがある。又道の両側の、楓、櫻の並木は陽春の花時には一層の風情を添へ『花雲郷』の称さへある。
 この宿はもと、小佛、案内の二瀬が一緒になった浅川の流れ筋であったが、上椚田村の郷士設楽杢左衛門が、元和年中から上長房、上椚田両村の堺へ、南北に堀割って、寛永年中に至る約二十ヶ余年の長い年月を費やして、やっとこの大土工を完成し、漸く現在の位置に河川を変更し、慶安二(1649)年にもとの河原を宿としたのが、今の川原の宿の起こりである。」
と書いている。



この地図はMapFanWeb( http://www.mapfan.com/ )より転載。

 この記述によると、もともとの南浅川は両界橋から現在の国道20号を東に流れていて、江戸時代初期に両界橋から北に掘り割って流れを変えたことが分かる。なぜ流れを変えなければならなかったかは書いていない。
 川原宿は、もともと河原だったことに由来した地名であることが分かり、一つ疑問が解けた。(2001/06/06)

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小名路

(川原宿からつづく)
「高尾山誌」は小名路について、
「(両界)橋を越へれば小名路(こなじ)の宿となる。小名路はこの傍らに金南寺(こんなんじ)と云う寺院が在るから、それから転じてこの名が出来たとも云はれている。橋の傍に昔は刑場があって、関所破りの罪人が三度まで此處で磔になっていて其頃は物凄い處であったが、今はその俤さえも遺っていない。
 町の左右に川原の宿と同じく、清水が流れ、梅の老木が並木となって、初春の候は清香浮動して得も云はれない風情がある。この宿には、花屋本店、元木屋なぞの茶屋があるが、中にも花屋は絹越豆腐と蕨料理が得意である。小名路の宿端れから道は二つに岐れ、右は駒木野から小佛峠に行く旧甲州街道で、一名蛇瀧路(じゃたきみち)と呼んでいる。左は新甲州街道に当る登山本道である。」
と書いてある。
「関所破りの罪人が・・・磔になって」の文脈を明確に理解出来ないが、関所破りの罪人を磔にする刑場があったところだったという。



この地図はMapFanWeb( http://www.mapfan.com/ )より転載。

 今後紹介することになるが、3つめのバス停が駒木野で、バス停前が小仏関跡公園といって江戸時代に関所があった所である。この関所は日本三大関所の一つで、大変きびしく往来を取り締まったという。この関所を不法に通過、あるいは関所を通らず間道でバイパスしたものは関所破りとして大変きびしく処罰されたという。(2001/06/07)

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落合

(小名路からつづく)
 旧甲州街道と分かれて新甲州街道を少し進むと、小仏川に架かる上椚田橋を渡る。
 小仏川は、橋のすぐ下流で案内川と合流する。
 案内川は新甲州街道に沿って流れている川で、源流は新甲州街道の大垂水峠である。



この地図はMapFanWeb( http://www.mapfan.com/ )より転載。

(以下「高尾山誌」から)
「案内、小佛の両川の合した清流を左に見て、上椚田橋を渡ると、落合の部落になる。橋から二丁許の處に、高尾登山の棲径、金比羅道があり、此處に耳の病に霊験ある、石神明神の祠がある。
 昔はこの附近に、駒木野の裏関、落合の口留番所があった。
 人家の尽きた處の橋は、落合橋で、八王子電車は近く此處まで電車軌道を布設するさうである。此邊から路は水田の中を貫通して、野趣ヒシヒシと肌に迫って来る。左手(右手の誤り)にこんもり茂った杉の森は、氷川神社の境内で、此處からすぐに高尾橋となる。
 この邊に道を挟んで、桜楓が植えつけられ、春秋の眺めに富み、数十軒の休茶屋や、土産店が山麓まで軒を並べている。
 さらに進んで紅葉橋を渡ると、愈々登山口となる。」

 以上が昭和2年の様子である。
「金比羅道」入り口は、歩行者専用信号機のある、喫茶店「館」の横で、「高尾山ちか道入り口」の石標が建っている。この道は健脚で静寂を好む方に推奨の登山道である。 
「八王子電車は近く此處まで電車軌道を布設するさうである」の路面電車は、翌昭和3年に開通した。その後何年まで営業していたか確認できていない。
 現在の高尾山口駅発着の京王線は昭和42年に開通したもので、それまでは高尾駅からバスか徒歩であった。
 ちなみに、ケーブルカーは昭和2年、リフトは昭和39年に営業を開始している。
 落合橋から高尾橋の間に、今は4本の橋が架かっている。川下から京王線ガード下の橋、氷川橋、高尾山口駅入り口の橋、青葉橋である。(2001/07/04) 

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